由来

あらゆる物事の由来や語源

アメンボ 語源

アメンボの由来・語源

 

 

 

■アメンボの意味

アメンボ(水黽、水馬、飴坊、飴棒)は、昆虫綱半翅目アメンボ科の総称である

 

 

■アメンボの由来・語源

アメンボは捕まえると甘い匂いがする。本来の意味は「飴棒」で、「飴」は、臭腺から発する飴のような臭い、「棒」は体が細長いことからつけられた

 

 

■アメンボの主な種類

【アメンボ亜科】

・アメンボ(ナミアメンボ)。日本全土を含む旧北区広域(ヨーロッパ~東アジア)

・ヒメアメンボ(北海道~九州)。アメンボ(ナミアメンボ)よりひとまわり小さい

・コセアカアメンボ (本州~南西諸島)

・エサキアメンボ(北海道~九州、対馬、中国、朝鮮半島

・オオアメンボ(本州~九州、対馬、台湾、済州島、中国南部)

 

【ウミアメンボ亜科】

・シマアメンボ (北海道南部~奄美大島朝鮮半島

・ウミアメンボ(沿岸性の海棲。相模湾西表島間の太平洋岸)

菊川市 語源

菊川市の由来・語源

 

 

 

菊川市(きくがわし)は、静岡県の東遠地域にある都市である

 

 

■地名の由来

市内を流れる菊川が旧菊川町の名称の由来になった

 

2005117日 菊川町と小笠町が合併して菊川市(菊川町の名称を継承)が誕生

 

 

■菊川の由来

周辺一帯が古くは荘園であり、放牧が行われていたことから、柵で囲まれた放牧地(城飼)を流れる川という意味の「城飼川」(きこうがわ)が転じて菊川となったとする説が有力とされている。ほかに、高天神城の東を流れる川であることから、城東川(きとうがわ)が転じて菊川となったとする説など多数ある

 

 

■菊川(きくがわ)は、静岡県を流れる河川。一級水系菊川の本流である。国土交通省浜松河川国道事務所が管理し、一部を静岡県に委託している

 

 

■菊川は菊川市の水源のひとつとして、静岡県大井川広域水道企業団からの受水とともに活用されている。菊川市富田地区に浄水場ポンプ場がある

八百長 語源

八百長の由来・語源

 

 

 

八百長(やおちょう)とは、相撲や各種の競技などで、一方が前もって負ける約束をしておいて、うわべだけの勝負をすることをいう

 

 

八百長の由来

八百長は明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべえ)」に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海太夫囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海太夫の機嫌をとっていた

 

しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった

 

 

■年寄(としより)とは、公益財団法人日本相撲協会の構成役員である。親方の敬称で呼ばれ、年寄そのものを親方ともいう

 

 

■回向院(えこういん)は、東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺院、および、過去にその別院であった東京都荒川区南千住五丁目にある寺院

 

 

■碁会所(ごかいしょ)とは、席料を支払い、有料で囲碁を打つことができる場所である

 

 

略歴・経歴(プロフィール)

本因坊秀元(ほんいんぼう しゅうげん)

1854年~1917年】囲碁棋士16世・20本因坊秀元、六段。本因坊秀和の三男で、本名は土屋百三郎。19本因坊秀栄没後の後継者争いにおいて、一旦自らが20世襲位して田村保寿に地位を譲った

ステテコ 語源

ステテコの由来・語源

 

 

 

■ステテコとは主に男子が着用する、裾が股より長く膝下丈まであるズボン下である

 

 

■猿股や股引とは違い、幅広で肌に密着しない。パンツの外、ズボンの内に穿く。汗を吸着したり滑りをよくしたりする役目もあり、ズボンを傷めにくくする効果があるほか防寒効果もある

 

 

■着物や袴の下に穿く下着として、明治以降の日本の近代化に伴い全国的に普及した

 

 

■ステテコの語源

語源は1880年頃、初代(本当は3代目)三遊亭圓遊(さんゆうてい・えんゆう)が「捨ててこ、捨ててこ」と言いながら、着物の裾をまくり踊る芸「ステテコ踊り」の際に着物の裾から見えていた下着であったためとする説と、着用時に下に穿いた下着の丈が長く、裾から下が邪魔であったため裾から下を捨ててしまえでステテコと呼ばれるようになった説があるといわれている

 

 

■初代三遊亭圓遊(さんゆうてい・えんゆう)略歴

1850年~1907年】明治時代に活躍した江戸小石川小日向出身の落語家である。本名は竹内金太郎(たけうち・きんたろう)。三遊亭圓遊(さんゆうてい・えんゆう)は落語家の名跡である。三遊派の系統から生まれた名である。初代とされている圓遊は本来は3代目である。過去2人の圓遊は売れなかった訳ではなく、きちんと名を残した落語家が名乗っているのだがこの「3代目」圓遊が珍芸「ステテコ」で大人気を博し、あまりにも売れたためこのステテコの圓遊が初代ということで完全に定着した

岡崎市 由来

岡崎市の由来・語源

 

 

 

岡崎市(おかざきし)は、愛知県の旧三河国のほぼ中央に位置する市である。全国的には「八丁味噌」の産地として知られる。徳川家康の生誕地としても有名である

 

 

■地名の由来

岡崎という地名は、中世に明大寺町にあったとされる明大寺城や矢作東宿が、竜美ヶ丘のある丘陵の出崎にあったことから名付けられたものとされる。

 

その後、西郷氏により明大寺から菅生郷に城が移され、岡崎という地名が拡張されて用いられるようになったものと考えられる

 

初めてその名が確認できるのは、1484年作成の上宮寺「門徒次第之事」にある「オカサキ」との記述である

 

 

■明大寺町(みょうだいじちょう)は、愛知県岡崎市の町名である

 

 

■西郷氏(さいごうし)は、日本の姓氏。「西郷」という全国各地に所在する地名を名字とした典型的な地名姓であり、複数の家系の武家が歴史に名を残している

一宮市 由来

一宮市の由来・語源

 

 

 

一宮市(いちのみやし)は、愛知県北西部(尾張地方)の市である

 

 

■地名の由来

一宮市」という名前は尾張国の一宮である「真清田神社」があることに由来する。他地域の「一宮」と区別するため、尾張一宮とも呼ばれる

 

 

■一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである

 

 

■通常単に「一宮」といった場合は、令制国(りょうせいこく)の一宮を指すことが多い。一宮の次に社格が高い神社を二宮、さらにその次を三宮のように呼び、更に一部の国では四宮以下が定められていた事例もある

 

 

■真清田神社(ますみだじんじゃ)は、愛知県一宮市真清田にある神社。式内社名神大社)、尾張国一宮。旧社格国幣中社で、現在は神社本庁別表神社

 

国の登録有形文化財に登録されている。また国の重要文化財の木造舞楽12面・台盤20枚を始めとして、多くの文化財も伝世する

墓穴を掘る 語源

「墓穴を掘る」の由来・語源

 

 

 

■墓穴を掘る(ぼけつをほる)

身を滅ぼす原因を自分から作ることのたとえ。自分にとって大いに不利な状況へ至る原因を自分で作ることを形容した表現

 

 

■由来・語源

語源は「人を呪わば穴2つ」。人を呪うと呪った人間にも必ず跳ねかえってくる

 

他人を呪って墓穴を掘るような行為は、結局自分の墓穴を掘ることにもつながるという意味。要するに、悪行はたとえ計画だけであっても、めぐりめぐって、ブーメランのように自分にかえってくるから辞めておけ、ということ

 

 

■似た表現

「自らの首を絞める」

 

「自分が穴の中に落ちてしまったとわかったら、最初にすべきことは、これ以上、穴を掘り続けることをやめることだ」ウィル・ロジャース(ユーモア作家)

 

 

■墓穴は、死体が埋葬される場所である。墓穴は通常、墓地や共同墓地等、埋葬のために特別に設けられた地域にある