八百長 語源
八百長の由来・語源
■八百長(やおちょう)とは、相撲や各種の競技などで、一方が前もって負ける約束をしておいて、うわべだけの勝負をすることをいう
■八百長の由来
八百長は明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべえ)」に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた
しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった
■年寄(としより)とは、公益財団法人日本相撲協会の構成役員である。親方の敬称で呼ばれ、年寄そのものを親方ともいう
■回向院(えこういん)は、東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺院、および、過去にその別院であった東京都荒川区南千住五丁目にある寺院
■碁会所(ごかいしょ)とは、席料を支払い、有料で囲碁を打つことができる場所である
略歴・経歴(プロフィール)
■本因坊秀元(ほんいんぼう しゅうげん)
【1854年~1917年】囲碁の棋士、16世・20世本因坊秀元、六段。本因坊秀和の三男で、本名は土屋百三郎。19世本因坊秀栄没後の後継者争いにおいて、一旦自らが20世襲位して田村保寿に地位を譲った